【日本政治の歴史】戦後の日本政治はどのように変化したのか? わかりやすく徹底解説!

政治
今回の悩み
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「日本の政治について学びたい」
「戦後の日本がどのような変化をしたのかを知りたい。日本は戦後アメリカに支配されていたの?」

今回はこんなお悩みにお答えします!

最近は、政治に関心を持つ方が増えてきました。「政治の歴史」と「これまでの流れ」を把握すると、これからが見えてきます。
戦後の日本は、主権を失い、GHQ(連合国最高士官総本部)に間接統治されていました。サンフランシスコ講和条約によって、再び独立国家となり、民主主義化しました。
日本の政治はどのように変化していったのでしょう。

カズマイト
カズマイト

「専門用語もわかりやすく解説しています!」

✔︎本記事の内容

  • 戦後から現在までの日本政治の歴史がわかる
  • 55年体制について詳しく解説
  • 1994年の選挙制度改革によって、「中選挙区制」から「小選挙区制」に変化した具体的内容がわかる

この記事から、戦後の日本が現在に至るまでにどのような政治変化があったのか、大まかな流れがわかるようになります。

「政治をこれから学んでいきたい」という方に特におすすめな記事です。

日本政治の歴史【戦後の日本政治】

日本の政治を学ぶ上で、日本の歴史と大きな繋がりがあるため、歴史を知っておくことは非常に大切です。

日本はアメリカに戦争で敗れ、1945年8月14日にポツダム宣言によって、日本は降伏しました。(8月15日が日本の終戦記念日)
それにより、日本は主権を失い、GHQ(連合国)が日本を統治しました。

GHQ(連合国最高士官総本部)とは

GHQとは、Great Head Quartensの訳で、連合国最高士官総本部のことです。
アメリカやイギリスの多数で構成された組織でした。

マッカーサーと聞き覚えがある方ではないでしょうか?
聞き覚えがあるという方は、このGHQのリーダーがマッカーサーだったからです。

このGHQに戦後の日本は主権を奪われてしまいました。

詳しく説明します。

アメリカ(GHQ)による統治

戦後日本は、1945年のポツダム宣言によって、降伏し、主権を失いました。
つまり、独立国家ではなくなり、日本の政治をアメリカ(GHQ)コントロールされます。

1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発行されるまでの約7年間、日本には主権はありませんでした。
日本政府の上にアメリカがいたとイメージするとわかりやすいですね。

「間接統治」について下記で詳しく説明します。

「間接統治」とは

日本の政府を残して、日本政治を通じて、GHQが間接的に日本の政治を統治することです。
つまり、日本の政府は存続はしたものの、その上には、GHQがあり、最終的な主導権が日本にはありませんでした。

ドイツも日本と同じく第二次世界大戦で敗れた国ですが、ドイツの場合は、「分割統治」と「直接統治」をされています。

✔︎ドイツの場合

「分割統治」によって、ドイツは東ドイツと西ドイツに分けられました。それにより、国の分裂が生まれます。
「直接統治」はGHQ(連合国)がその国が政治を支配することです。決定権が国から失われます。

✔︎日本はなぜ「間接統治」だったのか?

「直接統治」されたドイツとは異なり、日本はアメリカ(連合国)に「間接統治」をされました。

アメリカ側が、日本は天皇のすべてを従うという風潮がもともとあったため、天皇の権威と日本の政治組織を活用した方が統治しやすいと考えられたからです。
そのため、日本の政府は主権を失ったものの、存在し続けました。
しかし、最終決定はすべてGHOがしていましたし、GHOが何か決定権すれば、言うことは聞かなければなりませんでした。

戦後初の選挙

1946年に4月10日に日本は戦後初の選挙が行われました。

※このときはまだ日本には日本国憲法がありませんでした。なので、旧憲法での選挙です。

✔︎戦前との選挙の違い

  • 女性も選挙に参加できるようになる(女性の参政権)
  • 20歳以上が選挙に参加できる

戦前は25歳以上の男性のみだけが選挙に参加できていましたが、年齢制限が20歳以上になり、女性も参加できる現在の選挙制度へ変化しました。

この時期に「日本国憲法制定」され、完全な民主主義国家となりました。
民主主義国家についてよくわからず、詳しく知りたい方は『【政治の仕組み】民主主義と選挙の関係を学ぼう!』をご覧ください!

日本国憲法制定に関しては、GHQ草案を元に作られたため、アメリカからの押し付けではないかと今も議論されることがあります。

サンフランシスコ講和条約

1952年4月にサンフランシスコ講和条約の発行によって、日本に主権が戻ります。
アメリカに主導権を握られていましたが、これによって、再び独立国家となり、日本の政治は自由になったのです。

ソ連(現ロシア)や中国はサンフランシスコ講和条約を認めず、調印しませんでした。

サンフランシスコ講和条約と同じ日に、アメリカは、日本が国家回復後も日米同盟を基軸とするように「日米安全保障条件」を結びます。

55年体制

日本の政治は、1955年から1993年までを「55年体制」と言われ、40年近くも続きました。

1955年に「社会党」と「自民党」生まれ、2つの党が対立しました。なので、二大政党制と言われていますが、この約40年の間、「自民党」が1993年まで一度も政権を譲らなかったので、1.5大政党政とも言われています。

「社会党」と「自民党」

戦後の日本は「安保」についての問題が中心でした。
日本とアメリカの関係をどのようにしていくのかという「日米安保」や日本の平和についてが重要視され、政治の中心にありました。

当時、「社会党」は日米安保に反対し、「自民党」は日米安保に堅持的でした。

政治が「安保問題」から「経済成長」へ

日本が高度経済成長をしたことで、政策は「安保」から「経済」へ時代の流れとともに、変化していきました。

代表的な例が池田勇人内閣総理大臣による「所得倍増計画」です。
名前の通り、日本国民の所得を倍にするという計画となっています。

実際に起きた変化
  • 安保問題では、意見の食い違いから対立がよく生まれていたが、経済に関しては、反発が少なかった。
  • 経済成長とともに都市に人が集まってきた。
  • 国民が豊かになり、自民党の支持が上がった。

無党派が日本に拡大

55年体制のもと、「社会党」と「自民党」のどちらも支援しない「無党派」が日本で増えていきました。
それにより、「社会党」と「自民党」ともに勢力が低下していったと言われます。

簡単にいうと、無党派とは政治に関心を持たない国民のことです。

日本は、1994年に選挙制度改革が起こりますが、無党派が増えたことで多くの影響を与えました。

1994年に選挙制度改革

1993年に細川内閣が誕生し、55年体制が終わります。
そのよく年の1994年に、細川内閣は「中選挙区制」から「小選挙区制」に選挙制度改革を行いました。

選挙制度改革によって、「中選挙区制」から「小選挙区制」に変化!

選挙制度改革によって、政権交代がしやすくなりました。

政権交代がしやすくなった理由

選挙制度改革によって、政権交代がしやすくなった理由は、無党派がさらに増え、政治に興味を持っている国民だけの選挙になり、票が片寄ってしまう可能性があるからです。

そして、無党派はテレビに影響されやすく、政治が不安定になってしまったのです。
この時代、「社会党」は一気に停滞し、「民主党」が大きな力をつけました。

それでは、選挙制度改革によって変わった「中選挙区制」と「小選挙区制」のそれぞれの特徴をお伝えします。
衆議院選挙区に変化が起こりました。衆議院について詳しく知りたい方は『国会の役割とは? 衆議院と参議院の違い』をご覧ください。

「中選挙区制」とは 【1994年まで】

以前の集議院選挙区です。

衆議院の選挙区から定数が3〜5名だったので、候補者がたくさんいました。
そのため、国の政権を身なうには、同じ党から過半数を獲得する必要がありました。
例えば、過半数の獲得のため、3人なら2人以上。5人なら3人以上。
過半数を取らなければ、受動権を握れなかった。

デメリット

「社会党」よりも「自民党」の方が圧倒的に優位だったために、民主党内の争いが激しくなってしまった。自民党から立候補した者同士で選挙の票を争い合うようなり、自民党内に派閥が生まれ、自民党 VS 自民党になってしまった。

「小選挙区制」とは

「小選挙区制」は、現在の衆議院選挙区の制度です。

現在は、衆議院の選挙区から定数が1人のため、候補者が同じ党から1人。

特徴

各政党から立候補者が1人のため、同じ党内での派閥が減り、政党 VS 政党になった。

まとめ

戦後の日本の政治の流れをイメージできましたか?

現在に至るまでの流れ

戦後  ➡︎    GDQに間接統治される(ポツダム宣言) ➡︎     政治の主権を失う  ➡︎  主権を取り返し、再び独立国家に戻る ➡︎    選挙制度改革 ➡︎  現在

戦後から現在に至るまでに大まかにまとめると、このような流れで時代が進んできました。
自民党が政権を失ったのは、これまでで2度だけです。1993年と2009年に民主党へ政権交代しました。
日本は変化を繰り返し、今の政治の形態となったわけです。

何事も歴史を知ることで、現在につながるので、より深く理解することができますね。 

今回は以上になります!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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